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いたちごっこの皇朝十二銭

皇朝十二銭
2021.04.23

いたちごっこの皇朝十二銭

今回のブログはお勉強モードでいきたいと思います。
日本で最初に作られたお金である「和同開珎」から始まる12種類の貨幣を総称して「皇朝十二銭」と呼ぶのですが、この貨幣についてのお話です。

鋳造の目的と種類
皇朝十二銭は平城京遷都に必要な費用をまかなうため鋳造されました。
地金が持つ価値よりも貨幣の価値を高くして、その差額によって利益を出すという計画でした。
つまり、「地金の価値 < 貨幣の価値」というわけです。

そして、皇朝十二銭の銭銘と発行年の一覧は以下のとおりです。
和同開珎 708年
万年通宝 760年
神功開宝 765年
隆平永宝 796年
富寿神宝 818年
承和昌宝 835年
長年大宝 848年
饒益神宝 859年
貞観永宝 870年
寛平大宝 890年
延喜通宝 907年
乾元大宝 958年

皇朝十二銭

出典 東京国立博物館

短い期間で作られているということがわかりますよね。
最も短い万年通宝は、5年間で鋳造が終わっています。
どうして頻繁に貨幣を改める必要があったのでしょう?

なぜ12回も作り直したの?

一番の原因となったのは、偽金を作る人たちでした。
それに対抗するために、政府は貨幣を新しくすることにします。
しかし、新貨幣の偽金を作る人がまた出てくる……。

政府が新貨幣を作る、また偽金を作る人が出てくる、政府が新貨幣を作る……。
このサイクルが繰り替えされた結果、短い期間に12回も貨幣を改めることになったのです。

和同開珎

出典 ウィキペディア 皇朝十二銭

そして、最初に作られた和同開珎に比べると、どんどん小さくなっていると思いませんか?
最初と最後の貨幣を比べてみてください。

乾元大宝

出典 ウィキペディア 皇朝十二銭

これにも理由があるんです。

なぜ小型化したの?

当時の政府は新貨幣に切り替える際、貨幣の価値を「旧貨幣:新貨幣」で「10:1」という極端なデノミネーションにする政策をとったのですが、そうすると「旧貨幣の価値 < 地金の価値 < 新貨幣の価値」となってしまい、交換せず鋳つぶしてしまう人が多発しました。
このようにして貨幣の回収ができなくなったことと、また、銅の産出量が低下したことにより、貨幣が小型化していったんです。

ちなみに、後期の貨幣に使われている銅には、鉛などの不純物が多く含まれているので、きれいに保存されている物が少なく、古銭としての価値が高いんですよ。

失敗に終わった貨幣政策

いきなり自分たちの持っている資産が10分の1になるなんて、誰だって嫌ですよね。
そして、新しい貨幣は小さくて質の悪い物になったわけですから、当然ながら貨幣の信頼は失墜し、庶民の銭離れが起きました。
そして、とうとう、政府も12回目で新貨幣を作ることを断念……しばらくの間、日本は物々交換の世界に逆戻りしてしまいます。

その後、経済の発展とともに渡来銭という中国のお金が流通するようになりましたが、公式に政府が貨幣を発行するのは、江戸時代の寛永通宝(1636年)まで待たなくてはなりません。
このあたりのお話は、またいつか記事にさせてくださいね。

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