江戸時代(1603~1867)
天保一分銀(てんぽういちぶぎん)
希少価値 | ★★☆☆☆ | |
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相場価格 | 1,000〜9,999円 | |
時代背景 | 天保8年 / 1837年 / 江戸時代 | |
素 材 | 銀 |
一分銀とは、江戸時代末期から明治初期に流通していた長方形の銀貨です。
天保8年から明治2年までの間に、4種類の一分銀が鋳造されています。
表面には「一分」の文字、背面には「定 銀座 常是」と刻印され、両面ともに、縁を飾るように桜の花の意匠が施されています。
一分銀は、書体などに多くのパターンが存在し、それによって価値が大きく変わります。
信頼のおける古銭買取業者さんに相談することで、より満足のいく結果が得られるかもしれませんので、利用してみると良いでしょう。
真文二分判(しんぶんにぶばん)
希少価値 | ★★★☆☆ | |
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相場価格 | 50,000〜99,999円 | |
時代背景 | 文政元年 / 1818年 / 江戸時代 | |
素 材 | 金、 銀 |
二分金・二分判とは、江戸時代から明治時代にかけて鋳造された長方形の金貨です。
表面には五三の桐と二分の文字、裏面には金座後藤家初代である「光次」の署名と花押が刻印されています。
一般的に6種類の物が知られていますが、それぞれ書体やサイズで判別が可能です。
二分金・二分判は、貴金属として以上に、古銭として価値の高い物ですから、換金をお考えの際には、目利きのできる鑑定士在籍の古銭買取の専門店にご依頼することで、より満足のいく結果が得られるかもしれません。
[新寛永] 文銭(ぶんせん)
もし、あなたの持っている寛永通宝の背面に、「文」と書かれているならば、それは、文銭と呼ばれる物です。
寛文8年に、亀戸で鋳造が開始されたとされています。
裏に「文」の字があることから、文銭(ぶんせん)とも呼ばれていました。
しかし、文銭といっても、それで1種類というわけではなく、その書体などによって多くの種類に分類され、中には20万円を超える価値を持つ物も存在します。
お手元の文銭の換金をお考えならば、古銭の買取を専門にするお店で鑑定してもらうことをおすすめします。
元禄二朱判(げんろくにしゅばん)
希少価値 | ★★★☆☆ | |
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相場価格 | 100,000〜499,999円 | |
時代背景 | 元禄10年 / 1697年 / 江戸時代 | |
素 材 | 金 |
二朱金・二朱判は、江戸時代に鋳造された、長方形で非常に小型の金貨です。
発行年によって、元禄、天保、万延の3種類がありますが、最後に鋳造された万延二朱判では、重量が元禄二朱判の3分の1程度の0.7グラムほどに小型化していました。
二朱金・二朱判は、小型ではありますが、価値のある古銭です。
換金をされる際には、古銭の買取を専門に行なっている業者に依頼すれば、相場からはずれた価格になることを防ぐことができます。
ぜひ信頼できる鑑定士に査定を依頼することをオススメします。
万延小判(まんえんこばん)
希少価値 | ★★★★☆ | |
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相場価格 | 100,000〜499,999円 | |
時代背景 | 万延元年 / 1860年 / 江戸時代 | |
素 材 | 金 |
万延小判(まんえんこばん)とは、江戸時代で最後に鋳造された小判であり、安政小判に次いで鋳造された小判です。
新小判(しんこばん)あるいは雛小判(ひなこばん)とも呼ばれており、裏面に「大吉」と刻印されていたら献上判になります。
万延小判の価値は高く、買取価格は美品で100,000万~200,000万ほどで、献上判は価値が高いものとされています。
本物かどうか価値を調べたい時は、古銭専門の買取業者に相談されることをお勧めいたします。
正徳小判(しょうとくこばん)
希少価値 | ★★★★★ | |
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相場価格 | 1,000,000円〜 | |
時代背景 | 1714年 / 正徳4年 / 江戸時代 | |
素 材 | 金 |
正徳小判とは、新井白石による通貨吹き替えの際に鋳造された小判です。
これは、荻原重秀の政策によって大量に鋳造された低品位の小判を回収し、家康の持っていた理念に沿い、高品位の金貨を鋳造するのが目的でした。
しかし実際には、より高品位である後期の慶長小判の品位に足りず、悪評により、わずか4カ月ほどで改鋳となります。
それゆえ正徳小判は希少であり、価値のある小判です。
もし、この小判をお売りになる場合は、正しい価値を見出せる古銭買取業者にまずはご相談すると良いでしょう。
秋田銀判 九匁二分(あきたぎんばん くもんめにぶ)
希少価値 | ★★★★☆ | |
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相場価格 | 50,000〜99,999円 | |
時代背景 | 文久3年 / 1863年 / 江戸時代 | |
素 材 | 銀 |
秋田銀判の九匁二分と刻まれた銀貨は、一両と引き換え可能な地方発行の銀貨でした。
大きさは縦が約80ミリ、横が約56ミリ、重量は35グラムほどあり、かなり大型の銀貨といえます。
銀の含有量は97%とされ、かなり高純度の銀が使われていることがわかります。
しかし、秋田銀判は金属価値以上に、古銭として価値のある物ですので、換金をお考えの際は、古銭買取専門店へまずご相談されると良いでしょう。
[古寛永] 水戸銭(みとせん)
水戸銭とは、その名前にあるとおり、寛永14年に常陸水戸に銭座が設置されてから、水戸で鋳造された寛永通宝で、古寛永と呼ばれる物の一つです。
その鋳造地は、現在では、銭谷稲荷として名前を残しています。
水戸銭については、古寛永の中でも、その分類が多く、中には、価値のある稀なものも含まれています。
ですから、もし、お手元の水戸銭をお売りになる場合には、古銭の買取の専門店に持ち込み、鑑定してもらうのがいいでしょう。
思っていたより、額面以上の価格で査定してもらえるかもしれません。
[古寛永]二水永(にすいえい)
寛永通宝は、江戸時代に広く流通した銭貨です。
その中でも二水泳は、寛永3年に水戸の富商・佐藤新助が、江戸幕府と水戸藩の許可を得て鋳造したものです。
表面には漢字の「二」と「水」字を組み合わせたようにな「永」の字が刻まれており、これから二水永の名がついたといいます。
裏面の下部には「三」と鋳込まれ、鋳造年の「寛永三年」を意味しています。
江戸初期に今までの北宋銭や明銭の交換用として使われていました。
買取価格は、数万円ほどです。
寛永通宝自体、江戸時代250年に渡り作られおり、希少価値としてはさほど高くありません。
元豊通寳(げんぽうつうほう)
長崎貿易銭の元豊通寳とは、中国の北宋時代に鋳造された宋銭である元豊通寳の銘を利用した貿易専用の貨幣です。宋銭を型として利用したわけではなく、新たに型を製作して鋳造されたため、宋銭の元豊通寳とは区別することが可能です。また、書体には、隷書体、行書体、篆書体の3種類があり、その書体によって価値が変わってきます。元豊通寳を正確な相場で換金するためには、古銭買取の専門業者に依頼すると安心でしょう。
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