すったもんだの宋銭導入
すったもんだの宋銭導入
古代の日本では、「皇朝十二銭」という貨幣が鋳造されていましたが、「いたちごっこの皇朝十二銭」の記事でも書いたとおり、この貨幣制度はうまくいかず、その後、物々交換に近い経済制度が利用されるようになっていました。
しかし、それからしばらくして、平氏が政権を握った頃から、都市部を中心に、また再び、貨幣経済が広まっていくことになります。
日宋貿易が鍵となった!
その鍵となったのは、10世紀以降の日本で盛んに行われるようになった日宋貿易でした。
当時の船は転覆しやすかったので、船底に銅銭を入れてバランスをとっていたそうです。
ですから、輸入品の中には多くの銅銭(渡来銭とも呼ばれます。)が含まれていました。
(実は、中国では、この時代には既に紙幣が使われるようになっていて、銅銭は有り余っていたのです。)
輸入した銅銭は、当初、銅製の仏具を作るための原料になっていましたが、日宋貿易を独占して富を得ていた平氏は、輸入した銅銭を日本国内で貨幣として流通させ、財政的な裏づけを得ようと考えました。
簡単にはいかない宋銭導入
しかし、その時代の日本では、律令制度によって、絹が朝廷の財源としてすっかり定着していたこともあり、平氏が広めた宋銭が絹の価値に影響を及ぼすことは、大きな問題となりました。
ましてや、宋銭は平氏が独占して輸入しているわけですから、多くの人が不満に思うのも当然ですよね。
それで、宋銭の導入賛成派、反対派の激しい対立が起きます。
この対立は、後白河法皇が幽閉される一つの原因にもなるなど、大きな混乱を巻き起こし、1185年、壇ノ浦で平氏が破れて以降も続きました。
例えば、1192年には宋銭を絹などと同等として扱うために、その公定価格を定めた「銭直法」ができますが、翌年の1193年には「宋銭停止令」が出されるという具合です。
(余談ですが、今は「1192作ろう鎌倉幕府」ではなく、1185年が鎌倉幕府の最初の年になるそうです・・・!)
しかし、結果的には、銭の利便性のほうが受け入れられ、1226年に鎌倉幕府によって、そして、1230年には朝廷によって、公式に宋銭の利用が認められることになりました。
1173年、平氏が正式に宋との国交を開始してから53年後、宋銭の利用は、最初に発案した平氏ではなく、源氏によって正式なものになったというわけです。
鎌倉幕府以降の貨幣
その後、室町時代になると、明の貨幣が大量に輸入されるようになりました。
有名なものには「永楽通宝」という貨幣があります。
これは、織田信長が旗印にしたということでも有名です。
また、この時期になると、少額貨幣の需要はどんどん高まり、私鋳銭と呼ばれる貨幣が民間で作られるようになりました。
これらの貨幣のうち、一部は幕府の公認で鋳造されましたが、多くは無許可で鋳造されていたようです。
品質の悪い物が多かったため、鐚銭(びたせん・びたぜに)とも呼ばれました。
金偏に悪ということからもわかるとおり、人々からの受けも悪かったのですが、その当時の権力者たちでさえ、朝廷への献上金に鐚銭しか集められないほど、国内では広く流通していたようです。
では、時の権力者が貨幣の鋳造をするようになるのはいつからでしょうか?
それはまた今度、記事にしたいと思います。
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