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銀判

銀判
銀判は幕末ころに一部の藩で鋳造された地方貨幣です。有名な銀判(ぎんばん)としては、久保田藩が鋳造した秋田銀判(あきたぎんばん)、盛岡藩が鋳造した盛岡銀判(もりおかぎんばん)、会津藩が鋳造した会津銀判(あいづぎんばん)などがあります。どの銀判も古銭の価値が高く希少なため、古銭の買取市場では、保存状態によって30,000から200,000円ほどの高値が付き、銀といえども馬鹿にはできません。しかし、本物の銀判が貴重であるため、大正時代から昭和の初期にかけて、研究用の模造品が鋳造されているため売買には、鑑定をうけるなどの十分注意が必要です。

銀判の種類一覧

盛岡銀判

盛岡銀判
盛岡銀判(もりおかぎんばん)は、幕末の慶應4年(1868年)3月から盛岡藩が鋳造した地方貨幣です。盛岡藩が独自の地方貨幣を鋳造した背景には、戊辰戦争の軍事費用を調達しなければならないことがありました。盛岡藩が鋳造した盛岡銀判には、八匁銀判(はちもんめぎんばん)と七匁銀判(しちもんめぎんばん)がありますが、七匁銀判は試作品であったため、流通しておらず、現存するものは1、2枚と推定され、古銭の価値がつけられないくらい希少な銀判です。一方、八匁銀判は古銭の買取市場では、150,000円から200,000円の買取価格がつけられています。

秋田銀判

秋田銀判
秋田銀判(あきたぎんばん)は、幕末の文久3年(1863年)11月から久保田藩が鋳造した地方貨幣です。久保田藩が独自の地方貨幣の鋳造に踏み切った背景には、やはり戊辰戦争が影響していると推測されます。久保田藩鋳造した秋田銀判には、九匁二分(きゅうもんめにぶ)、四匁六分(よんもんめろくぶ)、一匁一分五厘(いちもんめいちぶごりん)の3種類の銀判がありますが、一匁一分五厘は試作品であったため、現在では非常に希少であり、古銭の価値をつけられないほどです。古銭の買取市場では、九匁二分が60,000円から90,000円程度、四匁六分が30,000円から40,000円程度で取引されています。

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